実は、出来ている人ほど、「出来ていない」と思っている。
■
誰かのことを褒めたとき、
「いやいや、全然ですよ!」とか、
「まだまだですよ」
みたいに否定されたことはないでしょうか。
僕は、
「十分凄いのに、どうして否定するのだろう?」
と疑問に思いました。
ただの謙遜かと思ったら、どうもそんな単純な話ではない。
■ 気付いたこと
最近気付いたことがあります。
それは、「出来ている人ほど、出来ていないと思っている」ということ。
出来ている人は、なぜ出来るようになったか?
それは、「出来る人」を目指したから。
だけど、今の自分は、「理想の出来る人」には、遠く及ばない。
だから、その「理想の出来る人」と比べて、自分は出来ていない、と感じる。
「できていない」という主観は、向上心の表れではないかと思うわけです。
例えば、気遣いのできる人。
気遣いのできる人は、気遣いができる人を目指しているはずです。
そして、気遣いが出来る人の理想像が、漠然とでも、あるはず。
その理想像から比べると自分は出来ていないから、たとえ「◯◯さんは気遣いができますよね」と言われても、否定してしまう。
■ 成長し続けるために。
「自分は出来ている」という感覚も大事ですが、「まだまだ出来ていない」という感覚も大事だと思います。
「自分は出来ている」と信じきってしまったら(あるいは出来ていない自分を見ないようにしてしまったら)、成長が止まるように思います。
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