大切な人生を,他者から与えられた「やらなければならないこと」で埋めていないか?
以前の私は,他者から与えられた「やらなければならないこと」が終わればだらだらと過ごしてしまいがちでした。
「嫌なことが終わったから好きなこと(刹那的な享楽)に没頭しよう!」という思いになってしまっていました。
嫌なことを差し引いた残りの時間だけが,自分のために使える貴重な時間,という思いでいました。
しかし,千田琢哉さんは,著書でしばしば「時間=命」であることを前提とした記述をされています。
時間は命そのものですから,一瞬たりとも無駄にはできないのです。
大切な人生を,他者から与えられた「やらなければならないこと」で埋めていき,かろうじて残った時間だけを自分のため(ひいては嫌なことをしたストレス発散の時間)に使うというのは,何とも哀しいことです。
「自分の人生の主導権を握っているか?」という記事にも関連してきますが,「やらなければならないこと」は,全て,自分の課した制約のもとでやるというのはどうでしょうか。
仕事も仕事以外も,やるか,やらないかは,全て自分で選択しているという意識を持つわけです。
なんでも好きなことをやるという意味ではありません。
自分の人生をより良くするために,今何をすべきか,何をやらなければならないかを考えるわけです。
その結果,今就いている仕事に従事することが,すべきことになるかもしれません。
しかし,それは自分が目指す未来から逆算された今としてやるべきことですから,やらされているわけではありません。
客観的に,結果的に同じ仕事をしていても,その意識には雲泥の差があります。
また,より良い人生を目指すという意識でいると,自然にやらなければならないことは次々生まれてきます(「やらなければならないこと」が「やりたいこと」になれば最高です)。
次々やらなければならないことが生まれてくると,無駄なことに大切な時間・労力・お金を費やしている場合ではなくなります。
今この一瞬の行動に,ブレが少なくなります。
このように,小難しいことを考えながら生きるのは窮屈でしょうか。
時には,その窮屈さが嫌になってダラダラ過ごすこともあります。
しかし,時間はどんどん過ぎていきます。
人生は有限です。
人生はいつでもやり直しがききますが,早いに越したことはありません。
早く充実した時間を過ごせるようになれば,その分充実した時間を長く過ごすことができます。
日々,意識しすぎてしすぎることは無い,と考えています。
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