大好きな松浦弥太郎さんの『あたらしい あたりまえ』。
この中に、こういう話があります。
「九時から五時まで」
これが働くことの目盛りだとしたら、なんて意味がないことだろうと思います。
(中略)
時間の目盛りに意識がとらわれると、ただ時間が過ぎれば何かを果たしたような錯覚に陥ってしまう危険があります。
ですから、時間の目盛りという意識を外して、今日は何を果たすのか、と考えて、仕事に向かうことが大切なのです。
時間の目盛りではかれるのは、何時間働いたかということだけ。一方、今日は何をするか、の目盛りでは、今日一日の中で自分が何を果たしたかを、はかることができます。
昨日、「1日の最大値をどこに置くか」という記事を書きました。
松浦さんの言う「時間の目盛り」を基準に生きると、1日の最大値は、「◯時から◯時まで、問題なく働く」というところで止まりかねません。
仕事の仕方についても、時間の目盛りを基準にすると、本当はもっと短時間で効率的に出来る仕事でも、ちょうど終業時刻に終わるようなペースで仕事をしてしまいます。
また、時間の目盛りだと、「時間以上の何か」に意識が向かないので、その日1日の過ごし方にも違いが出ます。
例えば、行き帰りの電車。
平日の最大値を「◯時から◯時まで、問題なく働く」というところに置くと、行き帰りの電車で自己投資するという発想にはなかなかならない気がします。
他方で、「今日は何をするかの目盛り」を基準に生きれば、「◯時から◯時まで、問題なく働く」という枠ではなく、自分が何を成し遂げたかという部分で最大値を設定することができます。
仕事だけじゃなく、今日1日を通してこれを成し遂げたいという思いがあれば、今日1日の過ごし方は絶対に変わります。
「◯時から◯時まで、問題なく働く」を最大値にすることが良い・悪いという話ではありません。
大切なのは、自分がどこに最大値を置いていて、自分はどういう生き方をするかを、意識的に選択することだと思います。
「よくわからないけど、なんとなくこう考えてる」ではなくて、選択をする。
その選択の結果であれば、それがどうであれ、きっとその人なりのステキな人生につながるのではないかと思います。
もし、選択したつもりなのになかなか充実した毎日にならないようなら、一旦選択を見直してみるのも一つだと思います。