僕が考える「幸せ」の定義〜for you経由のfor me〜
■ 「幸せって何?」
散々語り尽くされた感のある話ですが、哲学ではなく、僕が「実感を通して」、現時点で至った結論。
■ for you経由のfor me
幸せには色々な形がありますが、「for you経由のfor me」、この幸せが、僕の中では、最も大きな幸せの形のひとつです。
■ どういうことか?
自分が何かをすることで、相手が喜ぶ、救われる、成長する。
その相手の姿を見て、自分の存在意義が認められたような気持ちになります。
始まりは相手のため(for you)。
そして、相手が喜ぶ。
そして、相手を喜ばすことができた自分が嬉しくなる(for me)。
これが、「for you経由のfor me」です。
反対に、for youを経由しないfor meの喜びは、相手の幸せなど考えない、利己的なものです。
犯罪が最たる例です。自分の喜びのために人のモノを盗むとか。
もしかしたら、「for you」に徹し切るのが良いのかもしれません。
しかし、現時点では、僕はその境地には達していません。
■ 幸せには大きさがある
for you経由のfor meで得られる幸せには、大きさがあります。
全く同じ事をしても、100の幸せを感じられる人、10の幸せしか得られない人が居ます。
全く同じ事をしても、全然喜ばない相手もいれば、凄く喜んでくれる相手も居ます。
だから、自分がfor you経由のfor meによって得られる幸せを最大化していくことが大切です。
■ 方法は無数にある
for you経由のfor meを得る方法は数え切れないほどあると思います。
医師として働くこと、飲食店スタッフとして働くこと、ホテルスタッフとして働くこと、ボランティアをすること、通訳をすること等々。
■ 幸せを最大化する方法をどうやって見つけるか?
僕は、その人の背負っているストーリーを紐解く。
そして、そのストーリーに合ったことをすることが大切だと思っています。
for you経由のfor meの喜びを感じられるということは、その人の生きてきた環境や価値観(=ストーリー)に触れたからです。
もっと狭く言えば、「それをされた側の喜び」を知っているからです。
全く同じことをされて嬉しかった経験はなくても、for you経由のfor meの幸せを感じる時というのは、それに似たことをされて嬉しかった経験があるように思います。
とすれば、自分のストーリーに合うことをすれば(=されて嬉しかった経験を、する側に回れば)、for you経由のfor meによって得られる幸せを最大化しやすいと思うのです。
また、for you経由のfor meを実現するために必要な努力も継続できると思うし、その過程さえも幸せに思えるのではないかと思うのです。
ストーリーに合わないと幸せが得られないというわけではありません。
あくまでも、「最大化」という観点です。
■ 例えば
父親が難病を患っいて、それを医師に救ってもらった経験があるとしましょう。
そうすると、きっとその人は、同じように誰かを救った時に、for you経由のfor meの幸せ、それも大きな幸せを感じると思うのです。
それは、「救われた側」として、その大きな喜びを既に経験しているというストーリーがあるから。
例えばこの人が医師を目指した場合、実際なれるかどうかは別として、努力が継続しやすいだろうと思います。
そういったドラマティックなストーリーがなくても、きっと自分のストーリーを紐解けば、ヒントが見つかると思っています。