『仕事の捉え方』を劇的に変えるかもしれない本~「本当の仕事」(榎本英剛さん著)を読んで①~
▼榎本英剛さんの、「本当の仕事」。
最近、とっても感激した本です。
榎本さんは、コーアクティブ・コーチング®に関するプログラムを提供するCTIジャパン(現・株式会社ウエイクアップ)を設立された方です。
僕がコーアクティブ・コーチングを学んでいるから取り上げるのではなく、800冊以上のビジネス書・自己啓発本を読んできて、その中でも本当に感激したと言えます。
▼本書を簡単に言うと、『モノの時代からココロの時代に変わりつつある今、それに伴って、仕事観を見直すべきではないか?という問いに始まり、著者の考えを丁寧に述べる本』です。
▼本書では、便宜上以下の分類がされています。
✔バブル崩壊以前の物質的な豊かさを重視してきた時代
→モノの時代
✔バブル崩壊以降広がりつつある精神的な豊かさを重視する時代
→ココロの時代
▼「精神的な豊かさ」とは?
その人が自らの「存在意義」を実感しているかどうか
(中略)もっとわかりやすく言えば
「自分は何のためにこの世に生まれ、そして生きるのか」ということであり、さらに短縮すれば「人生の目的」、あるいは「生きがい」
▼仕事観(=「仕事をどうとらえるか)について、
私たちの価値観や人生観が「物質的な豊かさ」を求める方向から「精神的な豊かさ」を求める方向へと変わってきているのだとすれば、当然、仕事観もそれに合わせて変わっていくべきだと思う
価値観や人生観が変わってきている→仕事観も変わっていくべきだ
という話です。
▼じゃあ、モノの時代の仕事観は何でしょうか?
1.仕事とは、「生計を立てるための手段」である。
2.仕事とは、「やりたくないことをやる」ことである。
3.仕事とは、「既存の職業に自分を合わせる」ことである。
4.仕事とは、「同時に1つしかもてない」ものである。
著者はこう述べます。
これらほど私たちから「本当の仕事」を遠ざけ、仕事をつまらなくし、私たちの可能性を狭めてしまう仕事観は他にはないと感じる
▼これに対して、ココロの時代における仕事観は?
仕事とは自らの存在意義を探求し、それを表現すること。*1
仕事とは、「生計を立てるための手段」であるという仕事観からの脱却です。
▼「いやいや、存在意義の探求・表現なんて理想論でしょ?」
「どうやって生活するのよ?」という疑問が湧きます。
▼これに対し、本書はこう述べます。
ココロの時代のメガネである「自らの存在意義を探求し、表現すること」に沿った仕事をしながら、モノの時代のメガネである「生計を立てる」ことができれば一番いいわけです。
そして、それは十分可能だと私は思っています。
これができたら最高ですね。
▼でも、存在意義って一体何でしょう?
それについては、こうあります。
自分を最大限に活かすことで他者や世の中の役に立てたとき、その人は自らの存在意義を実感することができると思うのです。
▼猛烈に共感します。
自分を殺して、好きでも得意でもないことを我慢してやる。
それで他者や世の中の役に立つことは、できます。
僕にも、好きでも得意でもないこと、もっと言えば嫌なことを我慢してやって人の役に立った経験はあります。
その時は確かに嬉しいのですが、存在意義を実感するほどの充実感はありませんでした。
そもそも、役に立てる度合いが、かなり小さかったです。
それは、好きでも得意でもないから。
「またやりたい、もっとやりたい、何度でもやりたい」とは思えませんでした。
あなたも、何か思い当たる経験は無いでしょうか?
▼存在意義を実感できるのは、自分を「最大限」活かすことで役に立てた時。
どれくらい役に立てるかは、人それぞれであり、同じ人でもその時々。
100万人を感動させる人もいれば、1人を感動させる人もいます。
しかしその数や範囲は重要ではありません。
重要な事は、その人が、その人らしさを存分に発揮したかどうか。
それが、自分を「最大限」活かすということだと思います。
きっと、自分を最大限活かすことができれば、役に立てた数とか、範囲とか、そういうのは気にならなくなるのではないかと想像します。
▼存在意義をどうやって見つけるか?
存在意義には正解はなく、その人にとっての「仮説」に過ぎず、その仮説を検証する必要があると述べます。
▼どうやって検証するか?
行動するということです。
(中略)立てた存在意義の仮説を何かしら目に見える具体的なかたちで行動に表すことで、その仮説がはたして自分にとって腑に落ちるものかどうかがわかってきます。
もし、腑に落ちない部分があれば、その度に変えていけばいいのです。
これが自らの存在意義についての仮説を検証するということです。
▼存在意義は、一度決めたら終わりでしょうか?
存在意義というのは一度決めたら永久に変わらないものではありません。
仮説を立て、それをいろいろなかたちで表現してみることで検証し、さらに進化させていくものなのです。
これが「存在意義を探求する」ということであり、仮説と検証のように、探求と表現はセットなのです。
▼「自分の存在意義はこれかもしれない」という”仮説を立て”、”表現(行動)”によって”検証”し、”進化”させていく。
そうやって見つかった存在意義(これは進化するものなので、いわば暫定的)を”具体的に表現していく”こと。
これが、「仕事とは自らの存在意義を探求し、それを表現すること」の意味だと理解します。
▼こう考えると、「仕事とは、『生計を立てるための手段』である」と考えた時には感じられないような開放感、何ともいえないワクワク感がありませんか?
▼ここまで読んで、「いや、でもさぁ」という言葉が頭をよぎったでしょうか。
本書は、こう述べます。
大事なことは科学的に証明できるかどうかではなく、そう信じることで自分の人生にどういう影響があるかということではないでしょうか。
つまり、自分には何らかの存在意義があると信じることで、人生に対してこれまで以上に前向きになれるのなら、さらに精神的な豊かさが増すのなら、それでいいではないかと思うのです
(中略)その人に存在意義があるということは証明できませんが、同時にそれがないということも証明できないのです。
「自分に存在意義があるとは信じられない」と言っている人は、裏を返せば「自分には存在意義がないと信じている」と言っているのと同じです。
もちろん、これはどちらが正しくてどちらかが間違っているということではありません。「どちらを信じるか」という意志と選択の問題なのです。
つまり、「存在意義がある」と信じるのも、「存在意義がない」と信じるのも、信じるという点において同義だ、と。
だったら、どっちを信じるのも、意志と選択の問題。
スキルの問題でも才能の問題でも運命の問題もなく、「意志と選択の問題」ですから、今この瞬間に変えることができるものです。
変える気にさえなれば。
■今日のトリガークエスチョン
あなたの人生の歯車を回す、トリガー(引き金)となる質問をします。
Q,あなたは、どんな仕事観を持っていますか?
「仕事とは自らの存在意義を探求し、それを表現すること」だと考えたら、どんな気分になりますか?
そしてあなたは、自分に存在意義があると信じるか、ないと信じるか。
どちらを選びますか?
■メッセージ(全力で読ませていただきます)
トリガークエスチョンへの回答、気付き、考えたこと、疑問に思ったこと、感想等々、お送りください。
*1:引用部分赤字は本ブログにおいて付したもの(以下同じ)