「たら・れば」の仕組み
「たら・れば」をよく口にする人がいます。
「たら・れば」の仕組みはこうです。
「自分は◯◯ができない。これは△△(=自分の外にある問題)があるorないからだ。だから,□□たら・れば,できるようになる」
「自分は成果を出せていない。これは上司が分からず屋からだ。だから,上司が代われば,成果を出せるようになる。」
「仕事でミスをした。これは仕事量が多すぎるからだ。だから,仕事量が減ったら,良い仕事ができる」
などです。
問題は自分の中に見出す
しかし,「自分は◯◯ができない」ということを「△△(=自分の外にある問題)」で正当化してしまってよいのでしょうか。
本当に「できるようになりたい」のなら,自分の中に問題を見出したほうが良いと思います。
例えば,「自分は成果を出せない。これは上司を納得させるだけの実力が無いからだ。だから,自分が実力をつければ,成果を出せるようになる。」
というように考えれば,「自分の実力をつける」ことで「成果を出せる」可能性が高まります。
それでも分からず屋の上司に阻まれるかもしれません。
だけど,圧倒的な実力をつければ,そんな分からず屋の上司のもとで働く必要はなくなります。
自分の中に問題を見だしたから必ず解決するわけではありません。
しかし、解決する可能性は高くなるし、極論すれば、解決しようがしまいが、自分の問題として取り組んだその過程こそが成長につながるわけですから、得られるものはあります。
反対に、自分以外の問題にしている限り、成長にはつながりません。
おそらく,出来る人は,「たら・れば」を連呼する人に対して,「問題はそこじゃないよ」と気付いていますが,わざわざ言ってくれません。
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