人から見ると,「与えているだけ」に見えること。
無償の奉仕とも言えます。
物質的な見返りがなくても,あるいは見返りが(物質的には)不十分であっても,幸せを感じることがあります。
それは,自分が与えたことによって,相手が喜んでくれたり,人生が少しでも良くなってくれたとき。
そのときに,
「自分が与えたことによって喜ばせることができた」,「人生を少しでも良くお手伝いができた」と嬉しくなり,幸せを感じます。
そう考えると,その「嬉しい」という気持ちにさせていただいた,という意味で,実は自分も与えてもらっているのではないかと思います。
もはや無償の奉仕ではないと思います。
究極は,誰に対してもそのような気持ちで与えられること。
しかし,今の私は,その域には全く達していません。
どうしても,上記の意味で与えることができるのは,喜んでもらいたい相手,人生が少しでも良くなってもらいたい相手だけです。
どういう相手がそれに該当するかは,色々な要素があります。
そして更に究極は,上記のような気持ちで与えることも,やはり「喜んでもらう」という見返りを求めていますが,それすら求めず与えること。
何かを「させていただいた」。その自分の行為自体に喜びを感じ,それに対して相手が喜んでも喜ばなくても,それをさせていただいただけで幸せ,という域ではないかと思います。
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