「弁護士である自分」をアピールしていた自分にドロップキックかましたい。
▼何度か研修に参加する内に、
「『弁護士である自分』をアピールしたくなる自分」
の浅ましさに気付きました。
大事なのは、
「生身の人間としてどうなんだ!」
ということ。
▼これまで何度か、CTIのコーチング研修に参加しました。
参加者は毎回15名前後。
20代前半の方から40,50代の方までいらっしゃいます。
▼最初に参加者が自己紹介をします。
項目は、
①名前
②お住まい
③研修から得たいこと。
▼ありがちな、「職業」が入ってないですよね。
職業は、
その人を表す重要な側面だと思っていたので、
それを紹介しないことに違和感がありました。
▼だけど、何度か研修を受ける内に、
こう思うようになりました。
『普段の職業が何だろうと、
今ここにいるのは、
同じ研修を、同じ時に受けにきた、
一人の生身の人間!
だから、
職業なんてどうでも良いっ!!』
主催者がそれを意図されているか分かりませんが、
僕はそう実感するようになりました。
▼男性に多いのかもしれませんが、
自分の勤務先、職業、肩書が、
「自分の存在価値を表すもの」
になりがちではないでしょうか。
▼正直僕は、そうでした。
「弁護士です」と言うと、
「すごいですね~!」とか
「異議あり~とか言うんですか?ねーねー」
みたいに興味をもってもらえます。
(まぁ、露骨にけなされることもありますが)。
▼だけど、「弁護士である」ということは、
僕の存在価値を表す一つの記号ではあるのですが、
ほんの一部、しかも表面的な部分しか表しません。
(仕事にプライドを持つ・持たないの話ではありません。)
▼それなのに、自分の人間性に自信がない僕は、
「弁護士である自分」をアピールすることで、
存在価値を認めてもらおうとしていたのです。
嗚呼、なんて浅ましい人間だったのでしょう・・・
ドロップキックかましたい位です。
▼研修では、
職業を言うことはもちろん禁止されていないので、
普通に「お仕事は?」という会話はします。
▼すると、
●地元では知らない人がいない企業の経営者だったり、
●バリバリのコンサルタントだったり、
●大企業にお勤めだったり、
色んな方がいました。
▼普段の仕事では周りから尊敬を集めるような人が、
研修中は、
●自分の子供と同じくらいの年齢の人とフラットに接する姿
●純粋な気持ちでコーチングを受ける姿
●自分の弱さや気付きを率直に口にする姿
●学びに対して貪欲かつ素直な姿
●周りの意見やフィードバックに耳を傾ける姿
その姿に心打たれました。
▼「俺は偉いんやぞー」とか。
「俺は大企業に勤めてんだぞー」とか。
「年上は敬えー」みたいな。
くだらない態度を取る人は誰一人いません。
「自分は凄いんだぞアピール」する人より、
「後で聞いたら実は凄い人だった」ほうが、
めちゃくちゃ格好いいですよね。
▼誰もが、
「自分はまだまだ成長できる」
と確信しているように思えました。
だからこそ、
今の仕事がどうとか、
過去にどういう実績を上げてきたとか、
そういうことよりも、
「未来」を見ていると感じました。
それは、今の仕事にプライドを持つ・持たないとか、
自信がある・ないという次元の話ではありません。
▼研修を受け始めた当初、
「弁護士である自分」をアピールすることで、
存在価値を認めてもらおうとしていたことが、
とてつもなく恥ずかしくなりました。
▼今は、弁護士であることをアピールすることはありません。
わざわざその気持ちを抑えているのではなく、
意味のない行為だと腑に落ちました。
▼「弁護士である自分」は、
僕の一部であることは間違いないし、
僕の存在価値を表す一部ではあります。
だけど、それよりもっと大事なことは、
人間としての魅力。
「一人の生身の人間として、どうなんだ!」
ということ。