その時間は、命の断片を引き換えにするに相応しいか?~「あなたとだから話せること」を話したい~
▼僕はよく、「時間は命の断片」という言葉を使います。
メルマガ(「意識と努力で人生は好転する!」メルマガ)の冒頭にも毎回書く言葉ですが、ここにピン!と来た方が何人かいました。
これは、尊敬する千田琢哉さんが使われているフレーズです。
▼いつ人生が終わるかは人それぞれですが、誰もが、一瞬一瞬、命の断片を削って生きているんです。
▼時間を使って、仕事をしたり、誰かと過ごしたり、食事をしたり、読書をしたり、趣味を楽しんだりします。
つまり、何かをするということは、その分の命の断片を引き換えにしているということ。
そう考えると、
「その事に、それだけの時間を掛けることは、命の断片を差し出すに相応しいだろうか?」
という意識が生まれます。
▼僕が人と話す時に意識していることがあります。
それは、「あなたとだから話せること」を話すということ。
つまり、「あなたとでなくても話せること」は、極力話しません。
それは、命の断片である時間を、僕なりに大切にしたいという思いからです。
▼何も難しいことはありません。
「あなたとだから話せること」は、”ここに居ない人のこと”でも、”自分のこと”でもなく、”今目の前にいる相手に関すること”です。
お互いに「あなたとだから話せること」を話せば、お互いに関する話ができます。
▼今目の前にいる相手と、「今」・「この場所で」・「同じ時間を共有している」という確率は、天文学的な数字です。
それを意識すれば、「あなたとでなくても話せること」を話すということが、いかに勿体無いことかと思えてきます。
そもそも興味や関心を持てない相手ならば、仕事ならまだしも、わざわざプライベートで時間を割くことはないと思います。
▼例えば、誰かの悪口や噂話。
これは、「あなたとでなくても話せること」。
極論すれば、聞いてくれる人なら誰でもいいわけです。
ですから、その話し相手がその人である必然性はありません。
▼自分の自慢話、苦労話、持論を一方的に話すのも、同様です。
相手がその話を求めているならば、それは「あなたとだから話せること」。
だけど、相手が求めているかどうかもよくわからないのに一方的に話すのは、結局「あなたとでなくても話せること」だと思うのです。
▼「その話、前も聞いたよ」という場合だってあります。
それは、誰に話しても同じことだから、誰に話したか忘れてしまうのではないかと思います。
▼目の前の相手とは、もう二度と会えないかもしれないんです。
二度と会えなくなったあの人と交わした最後の会話が、「聞いてよ~、昨日さ~」というグチだったら…。
そう思うと、一瞬一瞬の相手との会話が、とてつもなく愛おしくなります。
▼「そんな堅苦しいこと言わないで、気楽に行こうよ!」という意見も分かります。
シンプルに、あなたが、どういう人と、どういう時間を過ごしたいかだけの話です。
どれも正解です。
▼「そうは言っても、付き合いが…」という意見も分かります。
だけど、「あなたとでなくても話せること」ばかり話す人は、文字通り「あなたでなくても」良いのです。
▼「あなたとだから話せること」を話し合える関係を築きたかったら、まずは自分が「あなたとだから話せること」を話す努力をするんです。
そもそも自分が「あなたとでなくても話せること」を話しているのなら、その関係は築けません。
▼僕だって、いつもいつも「あなたとだから話せること」ばかり話しているわけではありません。
だけど、「100にならないなら意味が無い」ではありません。
いつも意識して、1つ1つ積み上げていくことが、いつの間にか大きな積み重ねになるのだと思います。
▼僕は、あなたと、「あなたとだから話せること」を話したい。
あなたにも、「あなたとだから話せること」を話したいと思ってもらえれば最高に幸せ。
そう思い合えたなら、きっとその時間は、命の断片を差し出す価値があるだろうと思う。
▼そう、この本のタイトルにあるとおり、「君にはもうそんなことをしている時間は残されていない」
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