「今は出来ないけど、やってみよう」とチャレンジする基準は?
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昨日、「今は出来ていないこと(何らかの分野、習慣、考え方等)」に直面したり、本や人から見聞きした人は、
・「できない」と考える人
・「今は出来ないけど、やってみよう」という人
に分かれると書きました。
ただ、後者も、
”出来ないことは「なんでも」チャレンジするのか?”
というと、決してそうではありません。
世の中に存在する全てのことにチャレンジすることは不可能でしょう。
■ では、何にチャレンジするのか?
チャレンジする基準として一つ重要なのは、
「自分はどうなりたいか?」
という自問です。
自分は、こういう人になりたい。こういう能力を身につけたい。あの人みたいになりたい。そういう目標を描きます。
・その目標を達成するために必要なこと
⇒チャレンジすべきこと。
・その目標を達成するために不要だと現時点で思うこと
⇒チャレンジすべきではないこと。
だからまずは、「自分はどうなりたいのか?」ということを考えてみてください。
■ 踏ん切りがつかない時は?
「なりたい自分」は描けた。
だけどなかなかチャレンジする踏ん切りがつかない。
それが人間かもしれません。
そういう時は、こう考えてみてはいかがでしょうか?
・本当にリスクはあるのかな?
今自分がリスクだと思っていること(例えば誰かに迷惑をかけるかもしれないとか)は、本当にリスクなのかな?
たとえ失敗しても、別に迷惑掛けないんじゃないの?
・リスクを過大評価し過ぎていないかな?
たとえ失敗したら誰かに迷惑を掛けるとしても、実はたいしたことではないんじゃないのかな?
・ハードルを低くできないかな?
正面からチャレンジできないとしても、誰かの助けを借りたり、役割を縮小したりしてチャレンジできないかな?
■ 押し付ける権利も、押し付けられる義務も無い。
「自分はどうなりたいのか?」と自問した時、そこで描く「なりたい自分」は、人それぞれです。
人それぞれだからこそ、誰かが決めてくれるわけでもないし、誰かに決められるべきことでもありません。
だけど、リスクを過大に見積もっていたり、なりたい自分を直視していないんじゃないのかなぁという場面を見ると、ちょっとだけ勿体無いというか、う~んという気持ちになります。
また、事ある毎に「できません。(だから、やりません)」と言われると、じゃあ、もういいです、他の人にお願いしますという気持ちになります。それが相手のプラスになるかマイナスになるかは分かりませんが。
チャレンジすれば失敗も努力も付きものですから、僕が「いや、チャレンジしようよ」と勧めるのも違いますよね。
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