あの人といるときの自分は好きですか?~「私とは何か『個人』から『分人』へ」(平野啓一郎さん)を読んで~
岩瀬大輔さんの「仕事でいちばん大切な 人を好きになる力」で引用されていて知った、平野啓一郎さんの「私とは何か『個人』から『分人』へ」をご紹介します
■ 分人とは??
ある人の違った一面を見ると、「あの人、『本当は』ああいう人だったんだ」と思ってしまいます。
自分の前では大人しい人が、別のグループではハジケているのを知って、「あの人、『本当は』あんな人じゃないのに」と思ってしまいます。
「あの人と居ると、自分らしい」「あの人と居ると、自分らしくない」「あの人は本当の自分を分かっていない」と思ってしまいます。
平野さんは、「本当の自分」という概念をこう否定します。
たった一つの「本当の自分」など存在しない。
裏返して言うならば、対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて「本当の自分」である。
(中略)
分人とは、対人関係ごとの様々な自分のことである。
恋人との分人、両親との分人、職場での分人、趣味の仲間との分人、・・・それらは、必ずしも同じではない。
(中略)
私という人間は、対人関係ごとのいくつかの分人によって構成される。
そして、その人らしさ(個性)というものは、その複数の分人の構成比率によって決定される。
分人の構成比率が変われば、当然個性も変わる。
これは面白い発想でした。
この本は「分人」というテーマだけで一冊の本なっているので、とてもここで要約しきれませんが、「そうそう、そういうことあるよね」という具体例もたくさん書いてあり、理解しやすく、面白く読み進められる本でした。
■ 「その人といるときの自分の分人が好き」といえるか?
僕が感激したのは、終盤に書かれていたこと。
人は、なかなか、自分の全部が好きだとは言えない。
しかし、誰それといる時の自分(分人)は好きだとは、意外といえるのではないだろうか。
逆に、別の誰それといる時の自分は嫌いだとも。
そうして、もし好きな分人が一つでも二つでもあれば、そこを足場に生きていけばいい。
(中略)
好きな分人が一つずつ増えていくなら、私たちは、その分、自分に肯定的になれる。
愛とは、「その人といるときの自分の分人が好き」という状態のことである。
(中略)
愛とは、相手の存在が、あなた自身を愛させてくれることだ。
そして同時に、あなたの存在によって、相手が自らを愛せるようになることだ。
その人と一緒にいる時の分人が好きで、もっとその分人を生きたいと思う。
これは、恋愛に限らず、友達でも何でもそうです。
「あの人と居るとありのままの自分で居られる」という感覚は、恋愛に限らず、あると思います。
これが、分人という概念でいうところの、「その人といるときの自分の分人が好き」ということなのかなと思います。
恋愛でも友情でも、「あの人と居ると楽しい」「また会いたい」「離れるのが寂しい」と思えるのは、その人といるときの自分が好きで、自己肯定感を満たしてくれる相手だから、というのもあるかもしれません。
■ 僕の悩み。
実は最近、「本当の自分を出せていない」という何とも思春期のような悩みを持っていました。
他方、「本当の自分って何?」という思いもありました。
だけど、あのグループといるときの自分は好きだなぁ、あのグループといるときの自分は好きじゃないなぁというのは、確かにあります。
それが本当の自分かどうかなんてどうでもよくて、そのときの自分が好きならいいじゃないか。その時の自分が好きといえる人やグループと接する割合を増やしていけばハッピーじゃないか、と思えました。
もしかすると、「夢」も同じかもしれません。
「こういう活動をしている時の自分の分人が好き」
「こういう風に人から感謝される時の自分の分人が好き」
「こういう風に人に影響を与えられる時の自分の分人が好き」
そうやって、自己肯定感を与えてくれるものが、夢、つまり本当にやりたいことなのかも。
■
先ほどの引用の後には、こう続きます。
今つきあっている相手が、本当に好きなのかどうか、わからなくなった時は、逆にこう考えてみるべきである。
その人と一緒にいる時の自分が好きかどうか?
それで、自ずと答えは出るだろう。
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