「忙しい」を連呼する人生は送らない。
■ 「忙しい」という言葉。
「忙しい」という言葉を見聞きすることは少なくありません。
僕は、できるだけ「忙しい」と感じないようにしています。
もし感じても、口には出さないようにしています。
理由は色々ありますが、一番の理由は、「忙しい」を連呼するような人生を送りたくないからです。
他にも、単純に、僕が憧れる人は「忙しい」を連呼しませんし、「忙しい」を連呼する人と親しくしたいとはあまり思わない。「忙しい」を連呼する人に大切な仕事を頼もうとは思わないからです。
■ 忙しくならない下ごしらえ。
「それはあなたが忙しくないから忙しいと言わずに済んでいるだけでしょう?私はそんな余裕もないくらい忙しいんです。」と反論されるかもしれません。
確かに、そうかもしれません。
色々な方のお話を聞いていると、僕より断然お忙しい方は少なくありません。
だけど、僕は僕なりに、忙しいと言わないための下ごしらえをしています。
それは時間の使い方であったり、業務の効率化であったり、心掛けであったり。
■ 「忙しい」を理由に楽しいことを逃していないか?
会いたい人から誘われた時、忙しさを理由に断るのは勿体無い。
楽しそうなイベントを見つけた時、忙しさを理由に行けないのは勿体無い。
夢があるのに、忙しさを理由に挑戦できないのは勿体無い。
だから、気の進まない予定、積極的な意味付けが難しい予定はできるだけ入れない。
これも、忙しくならないための下ごしらえです。
そのお陰で会いたい人に会えたことは、一度や二度ではありません。
■ 忙しさと夢の実現は比例しない。
忙しくすればする程夢の実現に近づくなら、僕も忙しくします。
だけど、僕は、忙しくしたから成功に近づくという単純な図式とは考えていません(もちろん暇にすれば成功するとは違います)。
■ 忙しいと言いたくなる時。
僕は以前はよく「忙しい」と言っていました。
びっしり埋まったスケジュール帳を見てうっとりしていました。
予定の無い日は不安になっていました。
ですから、「忙しい」と言いたくなる気持ちは、分かっているつもりです。
「忙しい」と言いたくなる時の心境はどのようなものでしょうか?
僕は、心の奥底に、「頑張ってるでしょう?」、「偉いでしょう?」、「凄いでしょう?」という、いたわってもらいたい願望というか、認めてもらいたい願望が横たわっています。
「忙しい」という言葉の奥底には、「本当はやりたくないんだけど・・・」という気持ちがあります。
周りから、「忙しそうだね、大丈夫?」なんて言われると、「そうなんだよ、忙しくてね」という気持ちになっていました。
だから、忙しい毎日を止めたいと思いながら、どこか忙しい自分に酔っていたような気がします。
だけど、好きなことをしている時や、夢の実現に向けて努力している時に、「頑張っているでしょう?」という気持ちにはなりません。
今日は大好きな人とデート。
今日は待ちに待った旅行。
今日は大好きなショッピング。
そういう時に、「忙しい」とは言いたくなりませんよね?
■ 「忙しい」と言いたくなった時。
僕は、「忙しい」と感じたり、うっかり口に出してしまった時は、好きなことが足りていないサインだと気をつけるようにしています。
その上で、「でも今は好きじゃなくてもやらなきゃいけない時だ」と意識したり、「好きなことを少し増やそう」と意識したりします。
■ 最後に。
以上を読んでいただいた時、「そんな甘くないよ」と感じられた方は少なく無いと想像します。
そんな簡単に忙しさから解放されるとは思っていません。
だけど、「一生このままでいいのか?」という疑問を持ち続けること。
「自分の理想の暮らしは何か?」と問い続け、一歩ずつでもそれに向かう具体的行動を取ること。
その意識は、持っていて損はないと思います。
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