叱られる経験を、成長の種に。
■
叱られたり、注意されることがあります。
上司、同僚、先生、顧客、友達等々。
叱られなくても、”叱られても仕方ないな”と自覚するようなミスをすることもあります。
友達が、何気なく痛いところを突いてくれることもあります。
叱ってくれるということは、自分の未熟な点を分からせてくれたということ。
■ 叱られた時の反応。
叱られた時の反応は人それぞれです。
その経験を成長の種として育てられる人。
人のせいしたり、自分は悪くないと考える人。
叱ってくれた人と距離を置いたりして、叱られる機会を失くす人。
その差は、いつか大きな差になると思います。
■
そもそも、人は、なかなか叱ってくれません。
おそらく、僕が誰かの信頼を損ないかねない言動をしたとき、10回中1回、あるいはそれ以上、叱られないままになっていると思います。
その相手は、僕を叱る変わりに、そっと距離を置いていくのだと思います。
年を取ると、更に周りは叱ってくれなくなります。
■
叱られないまま歳を重ねる。あるいは、折角叱ってくれたのに成長の種として受け取らないということは、自分の未熟な点を改善しないまま歳を重ねるということです。
時々、”この人は、こういうことをして、これまで誰からも叱られてこなかったんだろうか・・・”と首を傾げたくなる人に出会います。
きっとそういう人は、叱られなかったか、成長の種として受け取れなかったのかなぁと想像します。
■ 意識的に叱られる。
叱られる機会を作り出すというのも、大切です。
叱られやすい人とそうでない人、いますよね。
なんでもかんでも叱られるのはキツいですが、要は、”この人は、言えば伝わりそうだな”という人は、叱ってもらいやすいように思います。
また、狭い世界に居ると、なんとなく許されてしまうこともあります。
そこで、いつもと違う世界の人と接すると、自分の業界で常識と思っていたことが非常識であることに気付かされたりします。
■ まとめ
叱られる機会を作り出す。
叱られた時は、成長の種だと受け取る。
そういった積み重ねが、いずれ大きな差になるのではないかと思います。
↓この記事を気に入っていただけましたらクリック(投票)お願いします