厄介な人を演じて気付いたこと。
■ ロールプレイングをしました。
昨日、僕が相談者役、学生が僕の相談を聞く役というロールプレイングをしました。
素直で愛想の良い相談者を僕が演じても学生の勉強にならないので、
”全て人のせい、自分は全く悪くない、口を開く度に愚痴と文句を言う、自分の意に沿わないことには文句を言う”
というキャラを演じました。
僕が目指す人とは真逆のキャラ設定です。
■ 自分に感じた恐怖。
キャラを演じてみて、”これは怖いな”と思ったことがあります。
それは、自分が正しいという錯覚、偉くなったような錯覚に陥りそうになること。
■
そもそも相談者(=僕が演じた側)は年上で、どちらかと言うとお客さんの立場なので、相談を聴く学生は、逆らいにくい立場にあります。
それに加えて僕が無茶苦茶なことを言います。
学生が何を言おうが、僕は文句ばっかり言います。
すると、学生は、引いてしまいます。
僕の主張が無茶苦茶過ぎて、反論できません。
その、引いている様子、反論できない様子を見て、なんかちょっと偉くなったような錯覚に陥ったのです。
何なんでしょう、この感覚は。
僕は演じているだけなので、”厄介なことを言っている”という自覚があります。
それなのに、このような感覚を持ってしまったのです。
もし毎日のようにこの感覚を味わっていたら、癖になってしまうかもしれません。
自分で自分のことが怖くなりました。
繰り返しますが、学生は、単に僕が厄介なことを言うから引いているだけです。
”あぁ、この人厄介だな”、”質問するの嫌だな”と思われているのがひしひしと伝わってきました。
つまり、僕が偉くなったように感じたのは、120%錯覚なんです。
それなのに、偉くなったような感覚を持ってしまったのは、本当に怖かった。
そして、文句ばかり言うことは、自分の中に責任の目を向ける必要がないので、楽でした。
こういう風に楽だと感じることも、怖いと感じました。
そして、これまで得たことのない貴重な学びになりました。
■ 本田健さんのお話。
そういえば以前、本田健さんのポッドキャストで、自分が絶対なりたくない人になってみるというイベントをしたという話をされていました(記憶曖昧ですが)。
健さんは適当な人が大嫌いなので、バカボンのパパになって、「これでいいのだ」とか言ったそうです。
今回僕が相談者役を演じたのは、これに近かったかもしれません。
なんだか、妙にスッキリしました。
不思議な体験でした。
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