1 注意されることが少なくなる
年を重ねるにつれて,キャリアを重ねるにつれて,注意されること,怒られることが減っていきます。
それは,新人の頃に叱られたようなミスが減っていくことも理由だけれど,周りが注意しづらくなる,怒りづらくなることも大きな理由だと思います。
注意しづらくなる,怒りづらくなるのは,「新人対上司」のような明確な「注意しても良い・怒っても良い大義名分」がなくなるからだと思います。
注意して相手がどんな反応するかわからないし,気まずくなるかもしれない。
そのリスクを冒してまで注意するかというと,しないという選択をしてしまいます。
特に,自分に直接不利益が及んでこない部分については。
2 注意されなくなったらどうするか
注意されたりすることが減ったら,それは「俺もデキる人間になったんだな」ではなく,むしろ自分の立ち居振る舞いを客観的に慎重に見つめたり,教えを乞うたり,自ら注意されるような場(マナー講習等)に行くとか,そういった努力も必要ではないかと思います。
そして,幸運にも注意されたり,自分の足りなさに気づかせてもらえる出来事に出会えたときは,謙虚に受け止め,今後に生かす。
人は,注意されたり,痛いところを指摘されたりすると,防衛本能が働いてしまいます。最たる例が逆ギレです。
折角注意してもらったのに,ふてくされたり,逆ギレすると,もう注意してもらえなくなります。
ふてくされたり逆ギレする人は,きっと別の場所でもそうしています。
そうやって,注意されなければならないことを注意されることがなくなっていくという危ういことになります。
「あなたのため」と言いながら,自分のストレス発散のために文句を言うような人も居ますが,それでも,まず原因を自分に求める。
千田琢哉さんの「『特別な人』と出逢うために」の中に,次のような一節があります。
「もしあなたに失礼なことを言ってきたり,やってきたりした人間がいたら,相手にしないに限る。あなたさえ相手にしなければ,失礼な人は別の場所で,別の時間に必ずキレやすい人から怒鳴られる。
もし失礼な人に遭遇したら,『次に会う人に怒鳴られて気づいてね』と心で囁きながら,お手洗いに行くふりをして席を立てばいい。」
成功している人ほど,叱ってくれないのです。
自分が失礼なことをしてしまったということすら,気づかせてくれないのです。
今まで自分がそういう風に素通りされていたかもしれないと思うと,背筋が凍る思いです。