孤独とは、人と深くつながる手段である~意識的に孤独な時間を作る大切さ~
▼昨日、千田琢哉さんの「孤独になれば、道は拓ける。」をご紹介しました。
僕にとって「孤独な時間」は、とっても大切な時間。
今日は僕なりの「孤独」について書きたいと思います。
▼「孤独」の国語的な意味は、
「仲間のないこと。ひとりぼっち。」(広辞苑)。
改めてこの意味を見ると、「孤独なんて嫌!」と思う人の方が多いと思います。
▼結論を先に言うと、僕は、意識的に孤独な時間を作るべきだと考えています。
「24時間365日孤独でいましょう」なんてことはありません。
そんなの絶対嫌です。
毎日じゃなくても、長時間じゃなくても良いです。
「誰かと一緒に居たいけど、誰も捕まらなかったから止むを得ず一人でいる」という『消極的な孤独』ではなく、あえて孤独を選ぶという『積極的な孤独』。
その時間を作るということです。
▼孤独な時間を作って何をするか?
ー自分と向き合うこと。
そして自己研鑚を積むことです。
▼孤独にならないと、なかなか自分と向き合えません。
自分と向き合うことで、
・自分はどういう人間で
・どういう強みがあって
・本当にやりたいことは何で
・何が出来て何が出来ないか
を探ります。
大きく言えば、人生の方向性を見つける作業です。
これは自分の中に既にある答えを掘り出す作業です。
周りのことを気にしたり、人に合わせるような場所では、うまくいきません。
▼人生の方向がわかってくれば、どういう人と、どういう関わり方をしていきたいのか、分かってきます。
自分はこれからどういうことをやっていくべきかが分かってきます。
そして、自分が望む人生に向かって、自己研鑚を積みます。
▼孤独は、物理的に一人である必要はありません。
自分のペースで、自分のことを考えられるのであれば、それは僕の言う孤独です。
例えば、書店に足を運ぶ。
物理的には他のお客さんや店員さんがいるので一人ではありませんが、自分と向き合うために本を探しにいったのなら、孤独です。
セミナーに行ったり、コーチングを受けるのも、それが自分と向き合うため、自己研鑚であれば、孤独です。
大切なのは、形ではなく、マインドです。
▼「自分と向き合う」「自己研鑚を積む」と簡潔に書きましたが、一度やってお終いではありません。
繰り返し、繰り返しです。
▼僕が社会人になって初めて『積極的な孤独』を選んだのは、ランチに一人で行くことでした。
社会人になりたての頃、周りも気を使ってランチに誘ってくれていました。
ところが、人と一緒にランチに行くと、当然ながら自分のペースでは動けませんし、何一つ自分のことができません。
それで間もなく、一人で行くことにしました。
運動がてら10分程歩いてコーヒーショップに行き、サンドウィッチを食べながら1時間みっちり読書を続けました。
僕にとってこれは、自分と向き合い、自己研鑚を積む時間でした。
これは、当時の孤独な時間の作り方ですから、絶対人とランチに行かないという話ではありません。念のため。
▼その後も、朝早く出勤したり、一人になれる場所を探して仕事をしたり、お誘いを断ったりして、とにかく積極的な孤独を選んできました。
▼孤独を選ぶと言うと、人との関わりを断つ行為のように聞こえます。
確かに、意識的に孤独な時間を作る過程では、人との関わりを断つ(少なくする)側面はあります。
ただ、孤独な時間に自分と向き合い、自己研鑚に励む目的は、実は、関わるべき人と、より深く関わるためです。
自分の価値を最大化し、なれる最高の自分になることで、より深く人の役に立ち、より多くの価値を提供し、より人に影響を与えられます。
その意味で、孤独な時間を作るということは、より深く人と関わる手段です。
▼まとめ
●常に孤独になるのは辛い。
●毎日じゃなくても、長時間じゃなくても良いので、意識的に孤独な時間を作る。
●孤独な時間には、自分と向き合い、自己研鑚を積む。
●孤独な時間は、物理的に一人である必要はない。
●孤独な時間を作ることは、より深く人と関わる手段である。