「理解できない人」は、こう考えれば理解できる〜「理解する」とは「賛同する」ではない〜
■理解できない人、いますか?
みなさんの周りには、
「なんであの人はあんなことするんだ」
「なんであの人はこうしないんだ」
「なんであの人はいつもああなんだ」
と思わずにはいられない、「理解できない人」がいるでしょうか?
一体なぜ、その相手のことを理解できないのでしょうか?
また、なぜその相手は、理解できない行動を取り続けるのでしょうか?
その一つの答えは、「行動原理が違う」というところにあります。
■行動原理とは何か?
行動の根源的な動機となる本能・欲求・願望・信条・価値観など。
人にはそれぞれ行動原理があります。
行動原理が違えば、同じ問に対して全く違う答えを出します。
行動原理が違えば、同じ場面で全く違う行動を取ります。
あなたからすると、全く意味のない、有害とすら言える行動でさえ、本人の行動原理からすれば実に理にかなっています。
■「誰の」行動原理で見るか?
行動原理が違う人を、「自分の」行動原理を基準に見てしまうと、理解できません。
裏を返せば、「相手の」行動原理を基準に見れば、これまで理解できなかった相手の行動が理解できます。
例えば、Aさんの行動原理は、いかに効率よく成果を上げるかということ。
しかしBさんの行動原理は、いかに楽をして、いかに責任を負わないかということ。
Aさんがいくら熱心に業務改善の協力を求めても、Bさんは一向に乗ってくれません。
どんなアイディアに対しても否定的なことしか言いません。
Aさんは、そんなBさんの行動を全く理解できません。
理解できないのは、「Aさんの」行動原理を基準に見ているからです。
だけど、「Bさんの」行動原理を基準に見れば、Bさんの行動にはちゃんと筋が通っています。
業務改善だなんだと言って、自分に負担が回ってきたらたまったものではないわけです。だから、業務改善には協力できない。
反対に、Bさんからすると、Aさんの行動は理解できません。
何をそんなに一生懸命頑張ってるんだ、と冷ややかな目で見ているかもしれません。
自分の行動原理を基準に相手を見るから、理解できない。
相手の行動原理を基準に相手を見れば、理解できる。
単純化するとこういうことです。
■「理解」は「賛同」ではない。
誤解してほしくないのは、相手の行動原理を「理解する」とは、「賛同すること」ではありません。
「あぁ、あの人の行動原理はこういうことなんだな」と冷静に捉えるだけの話です。
冷静に捉えて、「じゃあ自分はどう対処しようか?」を考えるんです。
あなたからすると、相手の行動原理がいくらおかしくても、相手は現にその行動原理で動いています。
それをいくら「おかしい」と非難しても、こちらが消耗するだけです。
あなたが、あなたの行動原理からすれば至極当然の正論をぶつけたとしても、しかもその正論がたとえ100人中99人が賛同する考えであっても、相手の行動原理からすれば、もはやそれは正論ではありません。
いくら腹を立てても、相手の行動原理を根本から変えるのは途方も無い挑戦です。
重要なのは、相手の行動原理を変えることではなくて、相手は相手の行動原理で動いていることを前提に、自分がどうするか、ということ。
相手の行動原理を想像して、自分とは相容れないと思えば、早々に見切りを付ける。あるいは、どうしてもその人に動いてもらわなければならないのなら、相手の行動原理を基準に言い方を変えるとか、譲れるところは譲る。
相手の行動原理を変えるより、自分の考え方を変える方がよほど楽だし、精神的にも良いし、成果がでるはずです。
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