■一発回答の一節。
僕が最も好きな作家さんの一人、千田琢哉さんの新刊
「今日が、人生最後の日だったら。」
この中に、僕が長年モヤモヤと考えていたことに一発回答を出してくれた一節がありました。
ただ生きていれば、いずれいいことが起こるというわけでもない。
人生は、そこまで甘くはない。
いいことを起こすために、とことん自分の力で生き抜くことだ。
「生きていれば、いずれいいことが起こる」
ここで終わった方が、”一見”希望が与えられます。
では、「人生は、そこまで甘くはない。」と続けるのは、希望を奪うものでしょうか。
僕は、反対に希望を与える言葉だと思います。
■生きてさえいればいいことは起こるか?
「生きていれば、いずれいいことが起こる」という言葉。
極論すれば、「生きてさえいれば、いずれいいことが起こる」ということです。
だけど、「生きてさえいれば、いずれいいことが起こる」とは思いません。
否、「生きてさえいれば、いずれいいことが起こる」はその通りでしょう。
内容さえ問わなければ、「いいこと」は起こります。
だけど、「自分の力で生き抜くことができなければ、そのいいこと以上の良くないことが起こる」。
そう思います。
■本当の希望を与える言葉。
「生きていさえすれば、いずれいいことが起こる」
この言葉を信じて、努力をせず、ひたすらいいことが起こるのを待っていたとしましょう。
ところが、待てど暮らせど、一向にいいことが起こらない。
あるいは、たとえいいことが起こっても、それ以上に良くないことが起こる。
結局、努力せずに起こる「いいこと」は、それ相応のいいことなのだと思います。
大きな「いいこと」を起こすには、努力が不可欠なのだと思います。
だから、
ただ生きていれば、いずれいいことが起こるというわけでもない。
人生は、そこまで甘くはない。
いいことを起こすために、とことん自分の力で生き抜くことだ。
という言葉は、希望を奪うどころか、希望を与えるのではないでしょうか。
なぜなら、とことん自分の力で生き抜ければ、いいことを起こせる。
つまり、自分次第でいいことは起こせますよ、と言っているわけですから。
「生きてさえいれば、いずれいいことが起こる」
「努力してもしなくても、いいことが起こる人には起こるし、起こらない人には起こりませんよ」
この言葉では、本当の希望は与えられません。
だから、千田さんの言葉は、本当の希望を与える言葉。
僕は、そう理解しました。