1日の最大値をどこに置いていますか?〜残酷なまでに平等な”24時間”の使い途〜
■1日の最大値。
今日1日で、何を成し遂げたいですか?
今日1日で、どこまで成長したいですか?
これは、「1日の最大値をどこに置くか」という話です。
「1日24時間」というのは、残酷なまでに平等です。
どれだけ多くのことをやりたくても。
どれだけ多くの人に会いたくても。
どれだけ多くのことを学びたくても。
1日24時間の中でやりくりしなければなりません。
この24時間の中で、可能な限り、成し遂げられるだけのことを成し遂げたい。
可能な限り、成長できるところまで成長したい。
そう思えば、自ずと最大値は高くなります。
反対に、特に何かを成し遂げたいとも、成長したいとも思っていなければ、自ずと最大値は低くなります。
ここでいう「何かを成し遂げたい、成長したい」という”思い“は、「そうなったらいいな」というhope toのレベルではなく、want toのレベルです。
hope toは行動が伴いませんが、want toは行動が伴います。
■最大値を上げれば上げるほど。
最大値を上げれば上げるほど、時間が足りなくなります。
無駄にできる時間がなくなります。
潰さなければならない暇はなくなります。
「なんとなく」「無意識に」という時間がなくなります。
最大値を下げれば下げるほど、動きは緩慢になり、集中力は散漫になります。
最大値を上げれば上げるほど、動きは機敏になり、集中力は向上します。
分かりやすい例えで言うと、試験で良い点を取りたい人は、特に試験直前は、一分一秒すら無駄にできないという状態になります。
これが、最大値が上がっている状態です。
「可能な限り」と思っているのが、最大値の高い状態です。
「可能な範囲で」と思っているのが、最大値の低い状態です。
「予定を詰め込む」=「最大値を上げる」ではありません。
「忙しい」=「最大値を上げる」でもありません。
非効率的なこと、ムダなことをしていれば、どこまででも忙しくなれます。
しかし、それは最大値を高く置いている状態とはいえません。
最大値を高く置くというのは、常に自分史上最高の自分を更新し続けるということです。
生きていれば経験や知識が蓄積され、自然に成長する部分もあります。
そうではなく、人為的に成長を促すためには、最大値を高く置かなければならないと思います。
■最大値は、抽象的であり、具体的です。
可能な限り、成し遂げられるだけのことを成し遂げたい。
成長できるところまで成長したい。
この時点では抽象的です。
まず、こういう欲求を持つかどうかが、最大値に影響します。
こういう欲求を持った上で、具体的に、「じゃあこういう目標に向けて、こういうことをしよう」「こういう時間の使い方をしよう」という風に逆算されていきます。
最大値の高さは、どれが正解ではありません。
高いから良い、低いから悪いではありません。
自分がどういう人生を生きたいかです。