「かけた情けは水に流せ。受けた恩は石に刻め。」~小倉広さんからの学び~
▼僕は、小倉広さんの本が大好きです。
▼僕が書評コーナーを持っている月刊誌Leafでも、「会社で働く苦しみをなくすシンプル思考」をピックアップしたことがあります。
▼「かけた情けは水に流せ。受けた恩は石に刻め。」
という言葉をご存知でしょうか?
僕は、1,2年前に小倉広さんの
「僕はこうして、苦しい働き方から抜けだした。」
で知りました。今では、座右の銘の一つです。
▼実は僕は、長年この教えに反したことをしてきました。
「これだけやってあげた」
「あの時こういうことをしてあげた」
そして心の中で恩返しを求め、思ったように恩返ししてくれないと、「あの人は恩知らずの人だなぁ」と思っていました。
そうやって、「かけた情け」ばかりにフォーカスし、「受けた恩」に目が行っていませんでした。
▼なぜ、「かけた情」にばかりフォーカスしていたか?
一つの理由は、僕自身、役に立てることが少なかったからではないかと思います。
否、意識次第では役に立てることはたくさんあったはずですが、そもそも「恩を受ける」ことばかり考えて、情けをかけるという意識が低かったのでしょう。
▼そして、「僕はこれだけ頑張った→だから、これくらいの恩返しが無いと納得できない」という状態になっていました。
▼子供の頃、なけなしの100円を使って買ったガチャポンで、全然好きじゃない玩具が出てきた感覚に似ています。
「なけなしの100円返せー!」みたいな。
▼ここ1年位の話ですが、少しずつ、人の役に立てることが増えてきたと感じます。
これは、「こういう方法で人の役に立てると幸せだ」ということを自覚出来た結果です。
▼すると、不思議なことが起こりました。
役に立てる相手・機会が増えれば増えるほど一つ一つに対する執着は減り、「感謝して欲しい欲求」は弱まっていきました。
▼先ほどの例で言えば、1000円持っている中から出した100円なら、なけなしの100円を使った時のようなショックはありませんよね。
更に2000円、5000円、1万円と手持ちが増えるにつれて、100円のショックは薄まっていきます。
▼かけた情けを忘れることすらあります。
ある時ふと、「あの時はありがとうございました。」なんて言われます。
そして、「あれ、何のことだったかな」あるいは「あぁ、あの件ね!」となります。
僕は、これくらいが丁度良いと思っています。
これくらいの方が、いちいち
「あれに関して、あの人からお礼がないな」
「僕はこんなにしてあげたのにな」
なんて執着・憤慨しなくて済みますから、楽です。
▼じゃあ、誰に対しても恩返しを求めずに情けをかけるかと言うと、そういうわけではありません。僕はそこまで善人ではありません。
つまり、情けを掛ける時点で、相手は選びます。
自分が、「この人に情けを掛けても良い」と思って情けをかけたのなら、その時点で自己完結する。そういうことだと理解しています。
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