掛けなくて良い時間や手間を掛けない。
■本当に「不便ない」ですか?
時折、
「どうしてこんなムダなことをするんだろう?」
「どうしてもっと合理的なやり方をしないのだろう?」
と思うことがあります。
税金の無駄遣いとか大きな話ではなく、ごくごく個人レベルの話です。
ちょっとやり方を変えたり機器を揃えるだけで、格段に効率的になるのに、色々理由をつけて今のやり方を変えない人も居ます。
おそらく本人は、ムダだとも不自由だとも思っていないし、「別にこれで不便ない」と思っているのだと思います。
だけどそれは、そのムダや不自由が無くなった状態を知らないだけではないかと思えてなりません。
つまり、「不便ない」と思うのは、「便利な状態」と比較していないからではないでしょうか。
ケータイが無かった時代の人は、ケータイが有る状態と比較できないので、ケータイが無いことによるムダや不自由を知りません。
洗濯機が無かった時代の人は、洗濯機が有る状態と比較できないので、洗濯機が無いことによるムダや不自由を知りません。
だけど、今、ケータイや洗濯機が無い状態に後戻りするのは相当辛いです。それは、ムダや不自由が無くなった状態を知っているからです。
ムダや不自由を無くせるシステムや機器が無いのなら、仕方ありません。
しかし、有るのに使わないのは、凄く勿体無い。
使っていれば膨大な時間を節約できたのに。
■何のための効率化か?
何でもかんでも効率化・合理化しましょうなんて乱暴な話ではなく、掛けるべきことに時間や労力を掛けるために、掛けなくて良い時間や労力を出来るだけ少なくしたいという考えです。
たとえば、ある機器を使うことで、今の時間・労力を5分の1にできるとします。
既に使っている人は、そのメリットを既に受けています。
しかし、例えば1年後にそれを導入する人は、それまでの1年間、膨大な時間をムダにすることになります。
こう考えると、ゾッとします。
節約できたはずの5分の4の時間・労力で、何かできたでしょうか。
僕はいつも、「もっと効率化・合理化出来ないか」と考えています。
それでも、きっと思いもよらない部分で、膨大なムダをしているのかもしれません。
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