気付く人は気付く。公共の場でのちょっとした振る舞い〜「もし僕がいま25歳なら、こんな50のやりたいことがある。」(松浦弥太郎さん著)〜
以前もご紹介した松浦弥太郎さんの本の中で、次のような話がありました。
僕自身はいつも人材を探している立場にありますから、街を歩いていても、電車に乗っていても、いつでもどこでもアンテナを全開にしています。
たとえば、空席に座るにしても、ドスンと座るのか、まわりの人に気をつかってそっと静かに座るのか。
後者であれば、その所作から、僕は「この人は絶対に仕事ができる人だな、気配りのできる人だな」と思い、関心をもちます。
関心をもたれることは、チャンスに結びつきます。
僕は、この本を読む前から、「人が電車でどういう風に座るか」を観察していました。
空席にドスンと勢い良く座ると、柔らかいシートだと横の人が座っている部分が一瞬沈んでしまいます。手荷物や上着が当たったりすることもあります。
ドスンと座る人は、座った後に大きく足を広げて座ったり、だらしない姿勢の人が多い気がします。
松浦さんの本を読んで、「見ている人は見ているんだなぁ」と改めて思いました。
僕は松浦さんと違い、人材を探すような立場にはありませんから、僕になんと思われようが、誰もチャンスを失いません。
だけど、「ここまで細かい所まで見られていることがあるんだ」、と身が引き締まりました。
この話から、「ドスンと座らないようにしよう」ではなく、「ここまで細かい所まで見られていることがある。何事にも意識を持たせよう」とうい教訓を得ました。
■
「そんな細かいことまで気にしてられないよ。もっと大きなところで勝負しようよ」
そういう考え方もあります。
しかし僕の考えは、一事が万事。
細部に気を配れない人は、大部でも気を配れないのではないかと思っています。
電車で大きく股を開いて座って、横の人が身を縮めているシーンや、通路に足を投げ出して座っている人など、結構目につきます。
先日電車のアナウンスを聞いていると、「足を組んで座ったり、足を投げ出して座る行為は他のお客様の迷惑になることがあります」と言っていました。
そんなことまで言わないと気付かないのだろうか・・・と複雑な気持ちになりました。
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