■ 厚意を受け取れなかった自分。
誰かに優しくされた時。
誰かに応援してもらった時。
誰かにチャンスをもらった時。
「僕は、それを受け取るに値するような人間じゃない。」
ずっとそう思ってきた。
だから、なかなか素直に受け取れなかった。
たとえ受け取っても、受け取った喜びは、すぐに失う怖さ、失望させる不安に変わっていた。
今思うと、失った時のショックや、失望させた時のショックを受けないために、
・最初から受け取らない方が楽だ。
・期待に応えられる手堅い範囲しか受け取らない方が楽だ。
そう思っていたんだろう。
その反面、「期待されたい!」と願っており、なんとも面倒くさい性格だと思う。
■ 発想の転換
だけど、ふと思った。
「それでいいんだろうか?」
受取拒否していたら、いずれ誰も与えてくれなくなる。
そもそも周りは、そんなに僕に関心は無い。良い意味で。
「せっかく与えたのに、期待に応えないなんて何事だ!」なんて怒られる場面も、まず無い。
誰かが与えてくれたということは、僕がそれを受け取るに値すると思ったからこそ、与えてくれたはず(少なくとも潜在意識としては)。
それを、「受け取るに値しません!」と拒否するのは、妙な話。
傷つきたくないという理由で拒否するのは、単純に勿体無い。
そういう風に色々考えるようになって、最近は、出来るだけ受け取るようにしている。
まだまだ自信はないけれど、今までのように「反射的に受取拒否!」という状態ではなくなった。
一呼吸置いて、冷静に判断するようにしている。
そして、出来るだけ喜んで受け取るようにしている。
■ 与える側になってみて。
僕ももう32歳なので、徐々に、与える機会も出始めている(「与える」という表現はしっくりこないけど、うまい表現がない)。
与えた時、喜んで受け取ってもらえると、やっぱり嬉しい。
また何かしてあげたい、という気になる。
逆に、「私なんて…」と受取拒否されると、哀しくなる。
与える側になってみて分かったけど、やっぱり、与える相手は見極めている。
僕は、誰にでも与えるような善人じゃない。
むしろ好き嫌いが激しい。
受け取って欲しい人に、与える。それだけの話。
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