「認められたい」という渇望〜「くすぶる力」(齋藤孝さん著)〜
■ 齋藤孝さんの「くすぶる力」
どうしようもなくモヤモヤしている時に書店で出会った本。
惹かれたのは、
・ くすぶっている間に溜めた精神のガソリンは、一旦火が付いたら簡単には枯渇しない。
・ くすぶっているんだ、という意識を持って、精神のガソリンを溜めよう。
という内容です。
■ 「認められたい」とくすぶっていた過去
振り返ると、僕はくすぶっていた期間が長かったように思います。
「人より」とかいう比較ではなく、主観的に。
勉強も、スポーツも、認められた記憶は殆どありません。
町内のソフトボールや部活ではずっと補欠でした。
大人からは「お前はダメな奴だ」と言われていました。
特に小学校、中学校の頃はひどかったです。
子供ながらに、「自分はダメだなぁ…」と自覚していました。
そのせいか元々か分かりませんが、セルフイメージは低い方だと思います。
明らかに悪いことをして「お前はダメだ」と言われるのならまだ分かるのですが、普通に生きて、むしろ真面目な方なのに、「お前はダメな奴だ」と言われていました。
高校時代は、本当に教師を憎んでいました。
今でも夢に出てきます。
あの時つかれた嘘、されたことは、一生忘れません。
だけど、もう恨んではいません。
そこでくすぶっていたことがエネルギーになって大学に受かりましたし、あの教師達とはかけ離れた所までいくつもりです。
■ 渇望
このように、認めてもらいたい気持ちは人一倍強いのに、全然認められない。
だから、余計に認められたいと渇望しました。
そのギャップが、くすぶりでした。
「もっと大変な人は居るよ」と言われても、自分の体と心はひとつです。
皆それぞれ辛い過去や辛い思いはある。
単純に、僕にはそういう辛かった時期がある。それだけのことです。
■ エネルギーへの転換
どんな出来事も、意味付け、捉え方次第です。
「認められたい」という渇望感というのは、確実に今の自分のエネルギーになっています。
ただ、最近は、昔のような認められたい願望ではありません。
昔の認められたい願望は、他者への希望です。
「ねぇ、認めてよ!」という。
エネルギーが他者に向いています。
だけど今の僕は、そのエネルギーは自分に向けようとしています。
確かに、認められたい。
だけど、そのエネルギーを自分に向けています。
そして、成長すれば、自然に認められるようになるんじゃないか、と思っています。
■
くすぶっていた当時は辛かったですし、今でもくすぶっています。
だけど、意味づけや努力次第で、プラスに変えられるんだと実感します。