心のどこかで、自分は特別だと思いたい。
心のどこかで、自分には人と違う才能や長所があると思いたい。
心のどこかで、自分は良い意味で変わっていると思いたい。
決して、自分は”平凡”だなんて、思いたくない。
そして、”平凡じゃない自分探し”をしてしまう。
だけど、”自分は平凡なんだ”と認めることは、
“明るい未来を諦めること”
ではなく、
”明るい未来へのスタートを切ること“
と捉えられるのではないかと思います。
少なくとも僕には、”いつかいきなり才能が開花して幸せになる”というシナリオは用意されていません。
だから、”平凡じゃない自分探し”を続けたところで、幸せにはなれません。
だから、幸せなるためには、努力が必要です。
平凡だと認めるから、努力できます。
平凡だと認めるから、謙虚になれます。
平凡だと認めるから、人の話を聴けます。
それが、平凡な自分が幸せになる方法だからです。
そう考えてみると、”自分は平凡なんだ”と認めることは、分かれ道の岐路に立つことではないかと思えてきます。
片方の道は、”平凡な自分には、これくらいしか無理だ、人生なんてこんなもんだ”と諦めて生きる道。
もう片方の道は、”平凡な自分は、人一倍努力をしなければならない“と覚悟を決めて生きる道。
僕は、20代前半に、自分は平凡なんだと認めることができました。
それまで、自分は平凡じゃないと思っていたわけではありません。
周りから見れば明らかに平凡中の平凡で、自分でも薄々わかっていました。
だからこそ、自分まで平凡だと認めたら、立ち直れないと思っていたから、なかなか認められなかったんです。
成功された方の話を見聞きしても、“いやぁ、ある日才能がいきなり開花しましてねぇ”という話は聞いたことがありません。
むしろ、昔は劣等生だったとか、大きな失敗をしたとか、そういう話があって、そこから奮起して頑張ったという話が多いように思います。
平凡だと認めて、人生はこんなもんだと諦めることもできます。
平凡だと認めて、人生はもっと良くなるとスタートをきることもできます。
胸を張って、平凡だと認めるのも、良いかもしれません。
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