昔は合理的だった感情の反応で、今の自分を苦しめていないか?〜まわりの人と「うまく付き合えない」と感じたら読む本(心屋仁之助さん著)〜
■ 自分の心の動きに注目します。
「どうして、こういう感情になるのだろう?」
「どうして、ああいう態度を取ってしまうのだろう?」
「どうして、これを快と思い、あれを不快と思うのだろう?」
■ 「昔は」合理的だった
そうすると、一つ、気付いたことがあります。
自分の反応というのは、生まれ育った環境に影響を受けていて、その反応は、「昔は」合理的だったんじゃないか、と。
■ 例えば・・・
母親がとてもヒステリックだったとします。
いつキレられるか分からない。
今日キレられなかった行動でも、明日キレられない保証はない。
そういう毎日が続けば、自然と、母親の感情に敏感になります。
ここでは、敏感に「なってしまった」というよりは、むしろ、キレられないための防衛策(=身を守るため)として、「自ら敏感になった」のではないか。
「敏感になりたくてなったわけじゃない!」という反論もありそうですが、自己責任だとかそういうことを言いたいのではなくて、キレられる毎日を送っていた当時に時間を戻せば、敏感になることは合理的な動きだったと思うわけです。
■ ずっと敏感なままで居続けるべきか?
だけど、大きくなって、基本的には、付き合う人、付き合う程度を選べるようになりました。
それなのに、昔の反応のまま敏感でい続けると、疲れます。
いつも、「キレられるんじゃないか?」とビクビクしていると、自分を押し殺してしまいます。
時には、キレられる前にこちらから攻撃してしまいます。
そして、相手が「偶々」キレたら、「ほら、やっぱりすぐキレるんだ!」と妙に納得する。
子供の頃は母親との敵対を避けるため上記のような防衛策を講じることも合理的ですが、もうその必要はないはずです。
■ 試み
上記のことは一例ですが、考えてみると他にもあります。
「性格だから」、「生まれ持ったものだから」と諦めず、
・ 自分の反応は、どういう事情で形成されたのか(昔は、どう合理的だったか)
・ 自分の反応は、今も合理的か
・ 自分の反応を変えた方が穏やかに生きられるか
・ 自分の反応を変えるにはどうすればいいか
そういったことを一つ一つ考えて、一つ一つ、昔は合理的だった、今は合理的でない反応を取り除いていきたいと思っています。
この関係で最近読んでいる心屋さんの本は、とても分かりやすいです。
僕はこの本が特に好きです。
この本を読んでいるところを見られたら、「え!?大丈夫!?」と心配されそう。